教育について

教育基本法につき、「国を愛すること」を教育の内容に盛り込む改正法案が成立しようとしている。


これから、少子化となり、労働力となる若い世代が減少することになる。さらに近隣諸国や米国の情勢を照らせば、それらを解決するための行動に対する理解を求めることは必要不可欠であり、「国を愛する心」を育む教育を推進することは必然である。


そこで、その「国を愛する心」をどのようにして養っていくかが問題となる。
わが国の指導者は戦前、戦中においては皇族主義的愛国心を国民に求め、そのイデオロギー的理論でもって罪なき国民を操り、国土と臣民を破滅に導いたというのは疑いなき事実である。
そして現在の与党の方針では、国家の斉唱や国旗の掲揚などを求めることによって国家としての団結力を求める方向であろう。
しかしこのような方法では、戦前、戦中同様、イデオロギー的理論で操られやすい国民がたくさん作られ、かれらが戦前のように暴走する可能性を含む非常に危険な政策だ。


現在の状態ではこの方法をとらざるをえないという状況であろうが、これよりも最善の手段がある。
そのためには、社会教育を中心とした教育カリキュラムを構成し、国民全員が正しく無駄のない政治判断をする知識を身につけ、わが国に最大の利益をもたらすのは如何なる方法をとるべきかを論理的根拠に基づいて正しく判断できる知識をもつ国民を養わねばならない。
低い投票率は国民の政治への無関心さ・・・いや、無知さを表しているものである。現在の教育現場では、英語や古典についてたくさんの時間が裂かれているにもかかわらず、社会についての科目に裂かれる時間はあまりにも不十分だ。
さらに、その内容も問題だ。世界史や日本史も、どこどこの誰々が何をしたかという全く重要でない知識を細かく教え、また試験でもその知識が問われている。
そうではなく、歴史的に起こった主要な出来事を中心に扱い、それがなぜ起こったか、その行動がどういう考えのもとに行われたか、そのことを教え、試験でもその思想が理解できたがどうかを問う問題を積極的に取り入れていかなければならない。
義務教育修了時には、そのような歴史に基づいた思想を現在の社会システムに置き換えることができるようになった上で、社会へ出るべきだ。


現在のわが国の政治は愚衆政治に陥っていると言わざるを得ない。与党が法案を提起し、野党が自分たちの利権確保のためにその足を引っ張っているという構図を国民が理解できていない。国民に対して投票をする前提としての知識教育が充分になされていないことにより国会の構成員の統制がとれず、その結果として意味のない時間が費やされ、わが国の前進を妨害しているのだ。
現在の日本国民の多くは「知りたい」という意志に欠けているため、利権に集る政治家にとっては非常に扱いやすい国民ではないかと思う。


真の民主主義政治は国民が正しい知識を得ることなくして成り立たない。
これによって都合の悪くなる権力者が出てくることは間違いないが。