梨沙子と私の関係について

「いくらヲタ活動をしても、りーちゃんと仲良くなれる可能性どころか、認知すらされていない」
盟友の一言に衝撃を受けた。妄想というぬるま湯に浸っている中、まるで冷水を食らったかのような気分だ。
受け入れるのは辛いが、的を得た答えである。

この言葉を受けたことによって、コンサートに行ったりCDを買うといったいわゆるヲタ活動の意味について再考させられるいい機会となった。

まず私は中学を卒業してしまったくらいの女性に恋愛感情を持つことは難しい。
しかし、私の恋愛対象となりうる小中学生の女性と知り合う機会はほぼ皆無といってよい。
愛情を抱くには見た目だけでなく、本人の性格や言動で相手の人格が形成されていかなければならず、それゆえただ通り過ぎていくのを見るだけのその辺の小中学生に恋をすることは考えられない。かわいいと思っても、愛情を抱くところまではいかないのである。

そこでアイドル「梨沙子」の登場だ。その辺のかわいい女の子とは違い、ラジオやイベントを通してではあるけれども彼女の性格など内面的な部分についても触れることができる。彼女へ愛が芽生え始めたのは一昨年彼女がBerryz工房としてデビューしたあたりからだが、「本気」だと感じたのはつい最近のことだ。やはり本気の愛情を抱くに至るまでの愛情を育む過程としてもヲタ活動は必要なのである。

では「本気の愛情」を抱いた後はどうだろう。
彼女と直接遊びに行ったりする機会はおろか話をする機会すらないのが、悲しいことだが現実だ。
そこで彼女を五感で直接感じることのできる唯一の時間がやはり握手会であり、コンサートとなってくる。
同じ時間と同じ目的を共有しながら過ごすことで埋められない愛を少しでも埋めるために私はこれらの場に赴くのである。もちろんこれで愛欲が完全に満たされることはない。
これを補完する行為が一般的に妄想と言われている行為だ。妄想を愛欲を満足させる程度に(7分くらいではあるけれども)増幅させるためには、内心だけではなく、五感から得た事実を元に行われなければ目的を達成することはできない。
この点からもやはり妄想の材料となる物質的根拠を得るための手段としてコンサ、イベントの存在は必要不可欠である。

また、私とりさこが出逢うまでには、相当な苦労を要することとなるだろう。
時間を無駄にすることのないムダのない正しい勉強をし、罵声を浴びせられながらも冷静沈着に行動し、汚い仕事もガンガンやって金と権力を握らなければならない。私のような生まれながらにして人を引きつける魅力を何らもたない卑しい人間は、このようにして愛を勝ち取るしかないのだ。
そして当然だが、努力というのは成功率を上げるためにやるものであって、それが必ずしも実るという保証などない。
成功率の限りなく低いギャンブルに命を賭ける・・・それに耐えるためには支えが必要だ。
その支えを得る場もやはりコンサでありイベントでありCDでありDVDでありラジオであり握手会なのである。

このように考えればアイドルとの恋愛の始まりからその成就に至るまで、常にイベントやコンサートが必要となってくる。私はヲタ活動の意味を以上のように解しているようだ。

恋が成就するのが先か、醒めるのが先か・・・しかしここから抜け出せなければ愛の対象が次の世代のアイドルに変わるだけの終わりなき悪循環に陥ってしまうだろう。