疑わしきは被告人の利益に

あるクラスに30人の生徒がいた。
そしてその日は5人の生徒が休んでいた。
ある日の午後、生徒A給食費が誰かに盗まれたことが発覚した。教師がクラス全員のカバンの中を探した結果、生徒Cのカバンの中に盗まれた給食費の袋が入っていた。
なお、その日の一限目にプールの授業があったが、生徒Cは腹痛で授業を抜け出した。


その結果、この日の終わりの会の時間にこの袋がCのカバンの中にあること、午前中の抜け出した時間があることを根拠に教師と25人の生徒が生徒Cを犯人だと断定した。
しかし本当の犯人は生徒Aの隣に座る生徒Bで、スキをついて生徒Aのカバンからぬき取り、生徒Cがトイレに駆け込んでいる間に中の金だけ抜いて入れたというのが事の真相だったとしよう。


「それらしい証拠」があり「それを正しいと信じる者」が圧倒的多数を占めた場合、もしもあなたが事情を知らない残りの五人だった場合、翌日登校した際にどのように事実を判断していくだろうか?


今回の捏造事件の広がりもそれと同じ事が言えるのではないか。
改めて見返してみたが、「多くの人が信用している」ということを置いて、「現実」を見て考えて見れば、彼女の写真がはっきり写っている写真ほど、彼女には見えない。


結局のところこの話は最終的には唯一の証拠物であるあの写真が「彼女に見える」「彼女に見えない」の水掛け論に行き着くことになる。
「白」ではなく「黒」である。と断言できる程度に証拠が揃うまでは、事実としては認めるべきではない。